陶房 窯八

 5月半ばの夕暮れ時、登り窯を囲む森。世界は碧色が染まって行く、昼と夜の隙間の時間。
視覚が不自由になるぶんだけ、耳はしだいに開いてくる。川からわき上がる水の音、一日の終わりを歌う鳥たちの声が下から上から混じり合って満ちている。そんな夜の入り口、窯に器を配置する窯詰めの作業が佳境に入っていた。

 

 北杜市武川町にある陶房窯八さんを訪ねたときのこと。

窯の中を覗くと、夫の睦さんが窯の入り口に収まっていた。時折、外に出てみては目を見開き、しばらくの間、窯の中を見つめている。その視線の先、私に見えているのはすでにぎっしりと配置され火が入るのを待つ様々に形作られた器たちのみ。
陶芸家の目には何が見えているのか。


時折、窯の外に控えている妻の恭子さんへ声がかかる。「脚無しの円盤。」「残りはなに?」
その度に明確に応答がある。このご夫婦、大学時代の同級生の仲だそう。恭子さんも作陶の経験があるので、ご意見番であり、営業頭であり、右腕であり、まさに女房という呼び名がふさわしい存在。

今夜から数日間、窯に薪がくべられる。
窯の中では土が火の息に包まれ、
窯の外では絶え間なく風と水が流れ続けている。

宇宙のありようを凝縮したようなこの場所で生まれる器には、
更に小さな一期一会の宇宙のひとかけらが現れる。

陶芸家の目に見えていたのは、
これから火が土の上を這って行く流れ。
少し先の時間に起きる景色を読み取る時間だったのであろう。




手に、目に、唇に。感じる器を選ぶ時間もまた
見えない酒やコーヒーや料理を見る目を開く特別な時間。